2007年09月19日
ドライ・トートゥガス国立公園
1824年12月下旬と1825年1月上旬、スペインが米国に5百万ドルでフロリダを売却したおよそ5年後に、米国海軍のデイヴィッド・ポーター (David Porter) 提督がドライ・トートゥガス諸島を視察した。提督は、カリブ海の海賊を鎮圧するのに役立つ海軍基地の場所を探していた。彼は、自分の見たものに感銘を受けず、海軍長官に、ドライ・トートゥガスはいかなる海軍の施設にも向いていないと知らせた。ドライ・トートゥガスは、わずかに海面に顔を出す小さな砂の島で構成されており、真水がないうえ、砦を築くための土地もほとんどなく、いずれにせよおそらく砦を支えられるほど頑丈ではないと報告した。
ポーター提督は、ドライ・トートゥガスは海軍基地には向かないと考えたが、米国政府の他の者は、サンゴ礁や小島周辺の船を導く灯台建設には適した島であると考えた。ブッシュ・キー (Bush Key) と呼ばれた小島 ? 後にガーデン・キー (Garden Key) と呼ばれる ? が、灯台の場所として選ばれた。灯台はガーデン・キー灯台 (Garden Key Light) として知られるようになった。建設は1825年に始まり、1826年に終わった。65 フィートの灯台は、白しっくい塗りの外観を有する、レンガ造りの建物である。 灯台守のための小さな白い家が灯台の傍らに建てられた。
1829年5月、ジョン・ロジャース (John Rodgers) 提督が、投錨地としての適性を評価するため、ドライ・トートゥガスに立ち寄った。ポーター提督の体験に反し、ロジャースは自分が見出したものに喜んだ。彼は、ドライ・トートゥガスが11の小さな島、周囲のサンゴ礁、堆で構成されており、堆の上で海が分かれていると報告した。 外港と内港があり、外港は常時安全な投錨地として利用可能で、多数の船舶が投錨できるほど広かった。さらに重要なことに、内港は戦列艦に十分な水深を有すると同時に、せいぜい110 m (120 ヤード)しかない狭い入口を兼ね備えていた。ロジャースは、万一、敵対勢力がドライ・トートゥガスを占領すれば、メキシコ湾での米国の船舶輸送は恐ろしく危険なものとなり、「絶対的な制海権」 ("nothing but absolute naval superiority") を握られてしまう。しかし、占領して米国が要塞化すれば、ドライ・トートゥガスはメキシコ湾岸の防御のための「前哨基地」となるであろうと述べた。
【PR】
- by
- at 18:59
comments